インドネシア・スマトラ島沖地震の現地調査を終えての手記が公明新聞(10月18日付)に掲載されましたので、転載いたします。 10月10日から14日まで、私は、大地震に見舞われたインドネシア・スマトラ島のパダンとパリヤマンに、日本の国会議員として初めて訪れた。 9月30日夕刻、インドネシア・スマトラ島沖を襲ったマグニチュード7・6の大地震。被災した市内を移動すると、倒壊した商業施設や高級ホテルが目の前に飛び込んできた。1階だと思っていた部分が5階だったと知り、ぞっとした。ホテル内で開かれていた水泳教室で、多くの子どもたちが犠牲になったことを知り、いたたまれない気持ちになった。 被害が大きい農村部では、日本の自衛隊や医療ボランティア団体のAMDAなどが、不眠不休の支援活動をしていた。診療に訪れる患者に、震災による心的外傷を抱えるケースが増えていることを聞いた。 被災地入りの一報を伝えた12日付の公明新聞を東京からデータで送ってもらい、プリントアウトしたものを、現地日本人会、自衛隊宿営地、NGOのスタッフに手渡した。通信環境の悪い被災地で、その日の新聞を手にするとは思いもよらなかったようだ。皆、大変驚いた様子で、公明新聞を食い入るように見ていた。「こんなところまで来てくれてありがとう」「公明党は真っ先に来てくれましたね」と声をかけてくれた。遠い異国の被災地で公明新聞が反響を呼んだ。 首都ジャカルタに戻り、インドネシア日本友好協会のギナンジャール会長に日本から持参した義援金を手渡した。「防災分野の人材育成事業のために使いたい」との申し入れがあった。インドネシアと日本は、ともに地震多発国。地震被害を少なくするにはどうすべきか。その知恵と技術を学びたいとの気持ちが強く伝わってきた。 被災地はこれから本格的な雨季に入る。倒壊した家屋は約13万戸。学校などの公共施設も倒壊し、農村部に行くほど被害は甚大である。水や食料の確保も急務だ。早急な復興支援が求められている。 同じ震災の悲しみや苦労を経験してきた日本にできることは数多くあると確信した。具体的な支援策を提案し、迅速な実行を政府に求めていきたい。
(谷あい)
「まるで爆弾が落とされたようだった」――。当時の様子を振り返る被災者の言葉が、地震のすさまじさを物語っていた。
(10月18日付公明新聞)