【No.41 2010年6月19日】
《 声の届く政治-毒ガス製造の島であった大久野島を訪れて 》
こんにちは。谷合正明です。
先日、初めて広島県竹原市沖の大久野(おおくの)島を訪れました。
この島は、第二次世界大戦中、学徒動員等で約8000人が毒ガスを製造していた島であり、当時の地図にはあえて載せていませんでした。
ある方の証言を聞くと、クラス10数人が担任の先生から突然行き先も告げられぬまま、島に連れられ、製造に従事していたとのこと。また、島の見える対岸を通りかかる鉄道は、通過の際に窓を閉めるよう乗客に命令があったそうです。
私は、毒ガス資料館を訪れ、小さい男女の子どもたちが毒ガスを製造し、運搬する絵や写真を見て胸が痛みました。
この作業の従事者のうち、ご存命の方は約3000人、平均年齢も80歳を超えていますが、毒ガスを原因とする呼吸器系の疾患など慢性的な後遺症に苦しんでいます。
そこで国の特別な医療支援制度が創設されたのですが、全国に点在している対象者の方が、詳しい申請の手続きを知らされないでいるケースがあります。
6月11日付の中国新聞には、「障害認定 対応に感謝」との投書が載りました。
投書した方の親類が毒ガス工場に学徒動員され、健康被害にあった。その方は遠隔地に住んでいて、指定病院に行くことが難しく、今まで様々な所に相談したが毒ガス障害の認定もできなかったところ、竹原の地元の議員さんにお願いしてできた、とのことでした。
その地元の議員さんというのが、まさしく公明党の女性議員です。県会議員とのネットワークがあって実現したものですが、6月16日付の公明新聞に、そのドラマが詳しく掲載されました。
声の届く政治を公明党はやります。地方議員や女性議員のいない根なし草の政党に、声の届く政治ができるでしょうか?現場の声を届ける強固な議員ネットワークを持つのは公明党だけです。
私が訪れた時、大阪から修学旅行生が平和学習に来ていました。またレジャーを楽しむ若者もいました。戦争の基地から平和の基地へ。今も公明党は声なき声を届けながら戦っています。
(谷あい正明)